室町時代をものすごーくざっくり解説
みなさんこんにちは那津です!
今日は当ブログで一番人気のざっくり解説シリーズ第2弾「室町時代編」をお届けしたいと思います!
各時代を説明する記事はたくさんありますが、内容が濃いものが多く、ある程度歴史を理解している人ではないと難しいと思います
ざっくり解説シリーズでは歴史をあまり知らなくてもこの時代ってどんな感じだったのかというのがわかるようにものすごーくざっくりと説明をしますのでぜひ最後までご覧ください!
また第1弾の「鎌倉時代編」を見ていない方はぜひ見てください!
室町時代の概要
室町時代というものをざっくり分類すると
(2)足利義満の時代
(4)戦国時代
の4つに分けることができます
つまり室町時代ってどんなことがあった??と聞かれたら
後醍醐天皇の建武の新政がひどくて足利尊氏が反乱を起こして、室町幕府ができて、足利義満が色々頑張って、足利義政のせいで応仁の乱が起きて、戦国時代が始まったといえばなんとなく正解なんです笑
それではそれぞれ簡単に説明をしていきたいと思います!
なお(4)戦国時代は安土桃山時代と大きくかぶるので「安土桃山時代編」のときに紹介をしたいと思います!
(1)建武の新政と室町時代の始まり(足利尊氏の時代)
①鎌倉時代の終わり
まずは鎌倉時代の終わりについて説明します!
鎌倉時代末期、元寇の際、十分な褒美をもらうことができなかったなどの理由から鎌倉幕府に対して御家人たちは不満をつのらせていました
そのことを知った後醍醐天皇は鎌倉幕府を滅ぼそうと御家人たちに呼びかけました
その呼びかけに応じた足利尊氏や新田義貞などの活躍によって鎌倉幕府は滅亡してしまいました
鎌倉幕府の終わりを簡単に説明するとこんな感じになります!
②建武の新政と室町時代の始まり
鎌倉幕府が滅亡すると次は誰が政権を握るのでしょうか?
それは呼びかけを行った後醍醐天皇ですよね!
後醍醐天皇は京都に戻って新しい政治を始めました
それこそが武士などから不満が続出した建武の新政です!
どうして不満が続出したのでしょうか?
それは天皇中心の政治をまた始めようとしてしまったからです
この時代の中心にいた身分は誰でしょうか?
武士ですよね!
完全に武士の世の中になっているのに今さら天皇中心の世の中に戻そうというのはお門違いもいいところです
結局不満が爆発し、最終的には鎌倉幕府滅亡の際ともに戦った足利尊氏によって京都を制圧され建武の新政は終わってしまいました
そして尊氏は幕府を開く目的のもとに当面の政治方針を明らかにした建武式目というものを発表し、室町時代が始まりました!
室町時代の始まりは建武式目が発表された1336年という説と尊氏が征夷大将軍に任命された1338年とする説がありますが、これは鎌倉幕府の始まりにも繋がる難しい問題なのでとりあえず今回は一番早い1336年としておきます
鎌倉幕府の始まりについて詳しく説明した記事もありますのでぜひご覧ください!
(2)足利義満の時代
3代将軍足利義満が行ったことは
の2つだけ抑えておけば大丈夫です!
ちなみに室町幕府というのは義満が京都の室町という場所に花の御所というものを作って、ここで政治を行ったことが由来なんですよ
①南北朝の統一
義満が行ったことの一つ目は南北朝を統一したことです!
南北朝って突然何の話?という感じだと思いますのでまずはそこから説明をしたいと思います!
武士などから不満が続出した建武の新政を行った後醍醐天皇ですが、尊氏に京都を制圧されたときに三種の神器を持って京都の南の方にある吉野に逃げてしまったんです
三種の神器というのは天皇の証であってこれを持っているから私が天皇であると後醍醐天皇は言い張ったんです
もうめちゃくちゃですよね笑
それに対抗して尊氏は京都で新たに天皇を即位させてこっちが本当の天皇だと言い張ります
尊氏側を北朝、後醍醐天皇側を南朝として二つの朝廷(天皇)がいる事態になってしまったんです
この時代を南北朝時代と呼び、この問題を解決したのが義満で、それを南北朝統一といいます!
②勘合貿易(日明貿易)
義満が行ったことの二つ目は勘合貿易(日明貿易)を始めたことです!
この貿易は日本と明(中国)の間で行われたものです
鎌倉時代を振り返ってみましょう
当時中国は元と呼ばれ、日本に2回も攻めてきました
民間同士の貿易はあったかもしれませんが、正式な貿易をしているわけありませんよね笑
義満は明からの呼びかけに応じて貿易を開始しました
そのとき勘合というものを用いて貿易を行ったので勘合貿易といいます!
日明貿易と勘合貿易は同じ意味なのでどちらを使っても問題ないですが、両方と知ってくと日本と明との間で勘合を使って行われた貿易と覚えられるので便利ですね!
勘合というものを簡単に説明すると正式な貿易船と倭寇(海賊)を区別するために使われた板のことです!
(3)足利義政と応仁の乱
8代将軍足利義政はもともと政治よりも文化が好きな人物で、この時代幕府の実権
は妻である日野富子が握っているようなものでした
そして次期将軍について考えているころ、義政と富子の間には子どもがおらず、当時出家していた義視を還俗させて次の将軍にしようとしていました
しかしそんな時に子義尚が生まれてしまうのです
義視と義尚のどっちを次の将軍にするの?という問題や、当時将軍の補佐役である管領の家督争いに、幕府の実権を握ろうとして争っていた細川勝元と山名持豊が介入したため、11年間に及ぶ応仁の乱が始まってしまいました!
応仁の乱は各地の有力な守護大名(力を持った県知事みたいな人)が京都に集まって戦いました
その頃守護大名が治めていた領国は守護代(副知事みたいな人)などが代わりに治めましたが、11年も代わりをしていたらもうそれは自分の国だと思ってしまいますよね笑
このように立場の下のものが上のものの勢力をしのいでいく下剋上というものが流行り始めたため応仁の乱が戦国時代の幕開けとされるんです!
まとめ
いかがでしたでしょうか?今回は室町時代をざっくりと解説してみました!
室町時代にはもっとたくさんの出来事があるのでこれだけで全てを理解できたとは言えませんが、おおまか流れを知っていることによって細かい内容も整理しやすくなるのではないかと思います!
拙い文章でしたが、ここまでお読みいただきありがとうございました!
ざっくり解説シリーズは定期的に更新をしていくつもりなので今後もぜひみてください!
またざっくり解説シリーズ「鎌倉時代編」をまだ見ていない方を下のリンクからご覧ください!